【舞台】『 TERROR テロ 』感想~観客参加型法廷劇。参審員(観客)のみなさん、あなたが下す判決は「有罪」「無罪」どちらですか?

【舞台】『 TERROR テロ 』感想~観客参加型法廷劇。参審員(観客)のみなさん、あなたが下す判決は「有罪」「無罪」どちらですか?
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TERROR テロ

TERROR

TERROR テロ 作品概要

2018年
作:フェルディナント・フォン・シーラッハ
演出:森新太郎
キャスト:
橋爪功
今井朋彦
松下洸平
前田亜季
堀部圭亮
原田大輔
神野三鈴

あらすじ

2013年7月26日、ドイツ上空で民間旅客機がハイジャックされた。犯人であるテロリストたちは、7万人が熱狂しているサッカースタジアムに飛行機を墜落させて多数の命を奪うと共に、世界的なニュースになることをもくろんでいた。
しかし、緊急発進したラース・コッホ空軍少佐は、独断でこの旅客機を撃墜する。
乗客164名の命を奪って、7万人の観客の命を守った彼は英雄なのか、犯罪者なのか。裁判は民間人が評決に参加する参審裁判に委ねられる。検察官による論告、弁護士による最終弁論を経て、判決は一般の参審員が決めることとなるが、果たして少佐に下された審判は―。
(エンタステージ「橋爪功と神野三鈴が法廷対決!観客参加型の舞台『TERROR -テロ-』日本初演」より引用)

弁護士(橋爪功)と検察官(神野三鈴)がそれぞれの正義を賭けて、法廷で丁々発止の論戦を繰り広げる。この裁判の行方を決するのは…
観客の皆様に被告が有罪か無罪か投票していただき、その投票結果で、判決が言い渡されます。この法廷劇の結末を決めるのはあなたの一票かもしれません。
(公式サイトより引用)

「参審員」という役柄を与えられた観客に要求されるもの

マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』という本が日本で流行したことがあった。
この本とともに「正義」にまつわる議論の一例として広く知られることとなった、トロッコ問題というのがある。
「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」を論じたトロッコ問題。
トロッコが走る線路上に人が5人居て、このままではトロッコが人を轢いてしまう。
この時、線路の切替器の操作レバーをあなたが持っている。
レバーを引けばトロッコの行き先が変わって5人が助かるが、切り替えた先の線路に立つ1人がトロッコに轢かれて死ぬことになる。
(トロッコ問題自体はこの本が初出というわけでもなく、数十年も前からあるらしい)

舞台「 TERROR テロ 」で扱われる内容も「少数を犠牲にして多数を救ったことが罪となるか」というテーマで、基本的にはトロッコ問題と同様の構造をとる。
しかし、この舞台の観劇体験は、テーマに対する受け手の取り組み方において、サンデル氏の本でトロッコ問題を読むのとは異なる点がある。
それは、以下2つの取り組みが観客に対して要求される点だ。

  1. 問題に対する最終的な結論を、受け手自身が決断・表明する
  2. 単純化された仮定の問題ではなく、複雑な事情を抱えた現実の問題として捉える

問題に対する最終的な結論を、受け手自身が決断・表明する

あらすじのセクションで引用した通り、この舞台は裁判劇の形をとる。
観客は傍観者であることを許されず、等しく「参審員」として裁判をきき、最終的に「有罪」「無罪」のいずれかに投票する必要がある。
(客席に予め置かれたフライヤーと共に、1枚の赤い紙が投票用紙として入っている)

結論を出すのが難しい問題でも書物で読んでいる限りでは、どんなに判断の難しい問題が展開されようと「ふーん、難しいなぁ」というテンションのままでいい。
熟考して結論を決めないでも、ページをめくれば別の問題について書かれていて、頭を切り替えることが出来る。
結局、数百ページ読破しても、自分の立場を何ら決定・表明しないまま、思考を終えることが出来てしまう。

舞台「 TERROR テロ 」はこれを許さず、受け手に対して立場の表明を要求する。
観客は外から眺めている娯楽の消費者ではなく、裁判長・弁護士・検察官が「参審員のみなさん、」と語りかける対象である。
私たちは参審員として裁判の場に居るのであり、舞台上に立っている当事者も同然なのだ。
(こういった、観客に直接語りかけるなどして観客を作品内に引きずり込む演出手法を「第4の壁を破る」というらしい)

単純化された仮定の問題ではなく、複雑な事情を抱えた現実の問題として捉える

トロッコ問題に代表されるような、限りなく単純化した仮定の上で物事を考えるやり方を、思考実験というらしい。
「シンプルに考えよう。たとえばこうだ――」に続く形で問いが与えられ、考える。

一方、舞台「 TERROR テロ 」では、ある軍人が事実として「少数を犠牲にして多数を救った」後から作品が始まるのであり、作品の枠内では既にたとえ話ではない。
ここでは現実問題としてテロが起こり、1人の軍人が「飛行機の撃墜命令が出ていない」にもかかわらず独断で、7万人を守るために164人を殺したのである。
そして現実問題であるがゆえに、シンプルとは程遠い、複雑な背景や過程がある。
ざっと思い出しただけでも、以下に書いただけの要素が事件に絡んでいる。

  • 冒頭に弁護士から説明される、憲法や法整備についての概況説明(軍が飛行機撃墜命令を出さなかった理由に繋がる)
  • 飛行機を撃墜するまでの、軍内部における言葉や情報のやり取り
  • 管轄や階級といった組織または個人の関係のなかで、責任や権限が分散されていること
  • 軍人に対して(軍や国家により明示的または暗黙的に)要求・期待される役割や判断の指針
  • 飛行機を撃墜しなくてもスタジアムの数万人は助かった可能性があるという、客観的証拠

こういった複雑な背景・過程がある中で、飛行機撃墜という判断の正誤の他に、その責任を実行者たる軍人1人に押し付けていいのか、という問題もある。
実はトロッコを使ったたとえ話自体も議論の中にしっかりと出てくるし、「飛行機に乗った時点でハイジャックに巻き込まれるリスクを承知したも同然だ」といった極端な見解まで出てくる。

トロッコ問題が教科書の最初のページにある基礎問題だとしたら、この舞台で繰り広げられるのはより現実に即した応用問題といえる。
同じことを論じてはいるのだが、絡む要素が増えることによって、よりリアリティを増し、判断が難しくなるのである。

ちゃんと感想

なんだか舞台作品の紹介ばかりにリソースが割かれているので、ちゃんと感想を書こうと思う。
あらすじを読んで抱いていた自分なりの判決に、あれよあれよという間に前提条件や複数の解釈が投げ込まれて揺らいでいく感覚は、他ではなかなか味わえない苦しいものだった。
この作品は、参審員(観客)の投票結果により、有罪の場合と無罪の場合にエンディングが分かれる。
私が観劇した公演でくだされた判決は「無罪」だった。
有罪・無罪の得票差がかなり僅差であったため会場がザワついたが、そうなるに足る弁護側・検察側の絶妙なパワーバランスを実現してみせた俳優陣・制作陣には心から拍手。
(票の操作があったかも、なんて野暮なことは言わない約束だ)

筆者の立場表明

ちなみに私の投票は「無罪」である。
ここで自分の認識を確認しておくが、法的な側面に限っていえば以下の点から、どう転んだって有罪にしかなり得ないと思う。

  1. 飛行機の撃墜命令が出ていないこと
  2. 1と関連して、ハイジャックされた飛行機の撃墜が違憲だとして、これを許す法律の条文が無効化されていること
  3. 1と2の条件下で飛行機を撃墜する行為は、罪もない164人を殺害したという点において有罪。(7万人を救うため、という名目が正当化されない)

その上で無罪に票を投じるということが、本来なら法律家と合同で評決するはずのドイツ参審制で許されるかは疑問が、それでも無罪とするその心は、以下の通りだ。

  1. 実行者の軍人1人に責任を負わせられる問題ではない。
    見える情報から判断し得る範囲において、放置すればスタジアムの7万人 + 飛行機乗客164人がまとめて死亡する可能性が極めて高い。
    にも関わらず何の策も講じなかった軍の振る舞いや、スタジアム内の避難指示を怠ったどこぞの組織の存在など、実行者個人に罪の所在があるとは言い難い。
    「飛行機を撃墜しなくてもスタジアムの数万人は助かった可能性」は後から判明したことなので、罪の所在や重さに影響しない。
  2. テロリストの勝利とさせない
    これを有罪とするとテロリストにとって、民間人を乗せた乗り物は何の妨害も受けないことが保証された武器となる。
    民間人を盾にする場合も同様。
    これは、早い話が「後で困るから」という理由で判決を曲げることであり、司法の下では相当ボンクラな議論である。
    しかし弁護側の発言にもあったように「法で裁けるような話ではない」とも思うので、これを判決理由とする。

書けば書くほど根拠として弱い。
法的根拠でなく、明らかに気持ちで評決してしまっているが、しかし。

「 TERROR テロ 」という法廷劇は、法律家との協議という手続きを踏まずに、参審員による直接投票で判決が決まるという構造になっている。
この構造のもとでは、法的根拠のみによって投じた票も、気分で投じた票も、ひとしく正当な1票だ。
だからこそ、私はこの構造を利用して「無罪」に投票することができたのだ。
法律に則って裁くという原則の限界を感じる一方で、これを解決するものとしての民意の投入が如何に危険か、と考えるのも面白い。
民意の下では六法全書は参考資料でしかなく、裁判はショーの観客と化した参審員を如何にたぶらかすかによって勝敗が決まる。
裁判員制度はその辺上手くやった結果、「民意入った意味なくね?」と言われているのだったか。
そんな話をしだすと法律に対する無知をさらけ出す一方なので、この辺にしておく。

余談

「もしも、あなたの家族が当事者だったら、そんなことが言えるか」という語り口は、数あるif文のなかでも強力だ。
相手のドライな言論に切り返すカードが無くなった場合によく使われるが、あまり好きではない。
まるで人格を試すような物言いで相手を黙らせるこの手法は、途端に本当の問題を見えなくしてしまうし、議論が前に進まなくなる。
社会福祉の土俵で、ちょっと俯瞰でものを言ったら、よくこれを言われて困ったものだ。
(法廷劇中、同じ論調がみられたので思い出しただけです)

以上、長々と失礼しました。
本当は、記事を書いている時点で観劇から丸1年近く経っている。
最近観劇したばかりの「民衆の敵」の感想を書くにあたり、その材料として、この作品の感想を少しまとめておきたかったのだ。

ほな、また。

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