【舞台】『 華氏451度 』感想~「思考・知識・創作・研究の蓄積」が否定された社会。本を燃やせと言ったのは誰か?

【舞台】『 華氏451度 』感想~「思考・知識・創作・研究の蓄積」が否定された社会。本を燃やせと言ったのは誰か?
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華氏451度
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華氏451度 作品概要

2018年(原作:1953年)
作:レイ・ブラッドベリ
上演台本:長塚圭史
演出:白井晃
キャスト:
 吉沢悠
 美波 
 堀部圭亮
 粟野史浩
 土井ケイト
 草村礼子
 吹越満

あらすじ

徹底した思想管理体制のもと、書物を読むことが禁じられ、情報は全てテレビやラジオによる画像や音声などの感覚的なものばかりで溢れている近未来。そこでは本の所持が禁止されており、発見された場合はただちに「ファイアマン」と呼ばれる機関が出動して焼却し、所有者は逮捕されることになっていた。
そのファイアマンの一人であるモンターグは、当初は模範的な隊員だったが、ある日クラリスという女性と知り合い、彼女との交友を通じて、それまでの自分の所業に疑問を感じ始める。モンターグは仕事の現場から隠れて持ち出した数々の本を読み始め、社会への疑問が高まっていく。そして、彼は追われる身となっていく…。
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『華氏451度』

感想

観てから随分経ってしまったが、せっかくなので感想を残す。
舞台作品なのでネタバレ全開でいく。

総評

本の所持・接触が禁止された社会で、本が内包する知的情報の重要性に気づいてしまった主人公と、その重要性を知りつつも焚書を先導する上司のやりとりが見もの。
知的情報の排除が、国家の統制でなく民衆の中から発生したニーズだという考え方も面白い。
知的な情報や行為の在り方について、現代日本と比較して色々考えられるという意味でもオススメの作品。

知的情報への接触が禁じられた社会

書物を読むことが禁じられ、情報は全てテレビやラジオによる画像や音声などの感覚的なものばかりで溢れている近未来。

物語の舞台は上記あらすじの通り。
この作品中における本とは「思考・知識・創作・研究の蓄積」といった知的な情報の象徴である。
これに対し、テレビの映像やラジオ放送は、そういった知的要素を伴わない物として扱われる。

誰が知的情報の所持を禁じたか

個人による本の所有・接触を許さないというのは、民衆に対して知的情報への接触を禁じるのと同義だ。
作中で執行される知的情報の排除は、国家により先導されたものではない、とする設定は面白かった。
焚書の執行は、国家が特定の宗教や思想を迫害したり政治体制を強固にしたりといった目的で行われたのではない。
知的情報を排除するムーブメントは、思考の伴わないvividな文化に溺れた、民衆の需要から広まったのである。
その経緯については、作中でも語られている。

技術と産業の発展によって社会の進むスピードは加速し、コンテンツの数はより膨大に、中身はより単純になっていく。
人間の持つ時間と処理能力には限りがあるので、人々は複雑な物・難しい物を受け止めきれない。
何も考えないで受動的にコンテンツを消費していれば良い生活のなかで、知的な情報はノイズである。
また、それを習得して難しいことを宣う人間は、民衆にとって恐怖の対象となる。

本のせいだ。本さえ無ければ、そういったノイズや恐怖が生まれることもない。本を排除しろ。燃やしてしまえ。
(正確な経緯はうろ覚えなので「詳しくは原著をご確認ください」としておく)

上記、焚書が始まった経緯を説明しているのが、主人公の上司。すなわち、本を焼いて回るファイアマンのリーダーなのだから面白い。
このリーダー、やたらと本(および、本が辿った歴史)に対して造詣が深い。
本からの引用合戦でも、完全に主人公より一枚上手だった。
本人も語っていたと思うが、彼にも主人公同様に本の重要性と魅力にあてられた時期があったのだ。
そんな彼がどういった経緯と思いで本を焼く職業を続けたのかは語られなかったが、たいへん気になるところだ。
(このリーダーを演じたのが吹越満さん。
勝てる気が微塵もしない、素晴らしい迫力だった)

記憶による知的情報の継承

本に感化されて追われる身となった主人公が、最後に出会った老人たち。
「本という形で残すのがダメなら、全部覚えちゃえばいいじゃない」
彼らが下した結論はこれだった。

1人ひとりが本の中身を記憶し、後世に残す。
大変な所業なのは確かだが、数十もの演目を覚えては演じきる落語家の存在や、物的証拠を残さずに信仰を守り続けた隠れキリシタンの例もある。
その気になればやれる範囲での苦肉の策に、主人公も加わることとなる。

さほどダイナミックではないが、劇中ずっと壁に囲まれて真っ暗だった舞台装置が開放的かつ明るくなった演出も相まって、未来への希望が感じられる良いラストだった。

現代の知的情報にどう向き合うか。

(本にしろ映像にしろ)フォーマットが何であれ、知的で良質な物も、そうでないものもある。
「アニメやゲームばかり勤しんでないで本を読め」とだけ怒鳴って済むほど、問題は単純ではない。
コンテンツの濁流と過酷な労働に溺れる現代人には、ゆっくり文章を読んでいる暇など無いのも確かだ。
そういった状況下で、私たちは知的情報に対してどう向き合うべきだろうか。
……という話をゴリゴリと書いていたら話の脱線度合いが凄まじかったので、また気が向いたら別の記事として書くことにする。

以上。
ほな、また。

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