GODZILLA ゴジラ
総評
評価:
劇中で何度も発生する怪獣バトルを意地でもちゃんと映さない出し惜しみ加減にイライラする。
怪獣バトルの引き算を補う人間ドラマもイマイチ活かせておらず、独自性のある面白さ補填もほとんど無い。
ゴジラを現代の技術でスクリーンに復活させることには成功したものの、見せるべきところを見せず、引き締めるところをキッチリやらなかったことで、かなり薄味の映画に仕上がっている。
(なお続編では怪獣描写・物語の構成・人間ドラマともに大化けグレードアップする)
感想(ちょっぴりネタバレ)
イグアナゴジラなんて無かった(ことにした)
日本公開としては2004年「ゴジラ FINAL WARS」以来10年ぶり、米国制作版ゴジラとしては1998年の「GODZILLA」より16年ぶりのゴジラ作品だ。
ただのデカいイグアナが大暴れして「こんなのゴジラじゃない」と袋叩きにあった1998年版は無かったことにして、本作では新たなハリウッド版ゴジラシリーズとして根本からリブートしている。
但し書き:
個人的に、1998年版イグアナゴジラはわりと好みである。
怪獣がどう見てもゴジラじゃない点は脇に置くとしても、それ以外はパニック映画としてよく出来ているからだ。
ゴジラのデザインは及第点
ゴジラの造形は日本版をベースとして、より巨大でパワフルなイメージに仕上がっており、ここに文句は無い。
ゴジラが発する声も奇をてらわず、違和感のないものとなっている。
詳細はネタバレ後記とするが、その他ゴジラの振る舞いとして大事な部分も、良い感じに溜めが効いていてよくわかっている。
よって、外から見てわかる要素は、基本的に日本版オリジナルを踏襲しつつ、上手くまとめていると評価出来る。
その副作用として、ゴジラの造形について意外性や目新しさは全くと言っていいほど無くなったが、「まずは赤点をもらわない」姿勢は大事なポイントだ。
出し惜しみしまくりの怪獣バトル
本作はタイトルに「GODZILLA」と銘打ちながら、実のところ「ゴジラ VS ○○」形式を採っている。
したがって、劇中で展開される戦いは「ゴジラ VS 人間」よりも「ゴジラ VS ○○」の怪獣バトルがメインとなる。
開幕から数十分にわたるドラマ部分と怪獣始動ムービーを経て、ゴジラと○○がいよいよ対峙、格闘戦に突入するも、これを見せない。見せてくれない。
怪獣プロレスが始まった途端にシーンは切り替わり、観客は怪獣達が大暴れした形跡だけを見せられる。
ゴジラと○○は劇中で何度もかち合っているにも関わらず、その度にバトルシーンは隠されるのだ。
(怪獣達が互いをどつき合う次の瞬間、ドアが閉まる! あぁ! 見えない!!!)
正体不明の新規モンスターパニックホラー映画で、人間が1人ずつ狩られていくような展開なら、徐々に正体がわかっていくのもアリだ。
もちろん、日本国外でゴジラの知名度は一般常識とまではいかないだろうが、戦っているシーンを隠して煽った正体不明感・不気味感がプラスに働くタイプのモンスターでは無いだろう。
唯一、ゴジラおよび対敵する○○のバトルが全面的に映される終盤のバトルは、多少煙っぽいエフェクトで誤魔化している感はあるものの、見事な迫力であった。
中盤までの出し惜しみが余計に悔やまれるところだ。
なお、ゴジラの敵怪獣となる○○は、生態の設定・描写がゴジラよりも練られていて面白い。
ネタバレになるので後記とする。
怪獣バトルを引き算されたところへの補填が弱すぎる
怪獣バトルが間引かれているのがダメだ、との前述を覆すようだが、そもそも論として「怪獣映画はバトってナンボ」という認識は、否定され得る。
何故なら、怪獣の姿やバトルを隠しながら展開する作品は珍しくないし、その上で良質なものは、世の中に存在するからだ。
以下、本作の前後に公開された2作品を例示したい。
怪獣出なくても面白かったシリーズ①「クローバーフィールド/HAKAISHA」
いわゆるPOVの撮影手法によって、その場に居るかのような没入感という点で、他の怪獣映画による追随を許さないレベルに仕上がっている。
公開前の徹底的な情報統制と、自由の女神の首が道路上にぶっ飛んでくるショッキングな予告映像から、ちょっぴり話題になった。
作品の中身は、怪獣襲来の渦中で一般市民が持っていたとされる1台のビデオカメラの視点により、怪獣からの逃避行・パニックを追体験するものだ。
当然、人の足で走れる速度と移動範囲では、ずっと怪獣と一緒に居られるわけはない。
たまに怪獣が映っても、瞬間的・部分的な描写が多い。
それでも面白いと感じるのは、怪獣の足元で逃げ回る民衆と同じ恐怖体験を、当事者の視点でリアルに感じられるからだ。
怪獣出なくても面白かったシリーズ②「アニゴジ3部作」
本記事で取り扱っている「GOZILLA ゴジラ(2014)」より後発の、日本国産3DCGアニメ版「GODZILLA」(通称アニゴジ3部作)。
ゴジラが徹底的に地球人類を滅ぼしにかかり、数少ない人類の生き残りが宇宙船に乗って地球を廃棄した後の世界が舞台だ。
こちらは怪獣バトルを引き算した代わりに、怪獣と人、また多種族に分かれた人間同士の対立の中で、「人の何たるや」を、哲学的な理屈っぽさたっぷりに、文字通り「論じた」作品であった。
ここで山場とされるのはいつも、怪獣同士の戦いよりも人間同士の論戦だ。
個々の登場人物や種族は、人間の心が持つ感情・論理・信仰といった性質を別々に象徴するよう異なった思考回路を与えられ、それぞれの軸から見た「正論」をぶつけ合う。
その中では人間と怪獣の存在意義・関係・勝敗の定義が揺れ動き、ただ怪獣を倒すとか、逆に滅ぼされるといった結論以外の可能性が模索される。
これを受け入れたゴジラファンは少ないながらも、何十作と作られてきたゴジラ作品とは違った視点で怪獣と人とを捉え直す、「新訳」としての存在感を放っている。
怪獣出ないのにあまり補填要素が無かった本作
先の記述で、別作品2つの感想記事があらかた書けてしまったような雰囲気だが、ここで「GODZILLA ゴジラ (2014)」に話を戻したい。
紹介した2作品は、怪獣バトルを引き算した代わりに、他の怪獣映画では一般的でない要素を前面に押し出して、映画としての独自性を確立している。
本作もこの例に漏れなければ、と言いたいところだが、残念ながら漏れている。
本作が怪獣バトルを引き算して盛り込んだものは、人間が動く描写の時間的な「尺」だ。
「丁寧さ」ではなく「尺」と表現しているのは、盛り込まれた描写が優れているとは思えない上に、冗長でさえあると思えるからだ。
少なくとも、最初に怪獣が現れるまでのシーンは、長いわりに後の展開に活かされない静的なシーンが続く。
また、主人公の家族の存在も、ほとんど活かされることなく尺だけ費やして終わっており、無駄が多い。
(詳細はネタバレ後記とする)
このあたりを10分でも削って、途中ぶつ切りされてしまう怪獣バトルを、それぞれひと区切りつくまで見せられたなら。
本作はもっとメリハリの効いた、良い方向に変わっただろう。
まとめると、度重なる怪獣バトルの出し惜しみと、色々と引き算されたまま面白さが補填されていない作りからして、残念な作品だった。
個々のシーンは評価出来る点もあるが、全体として見ると、手加減して作っている感が凄い印象を持ってしまう。
冒頭で述べているように、続編では原型を留めないほど大化けして超面白くなるのだが、この映画単体でみた時には、厳しい評価とならざるを得ないだろう。
ネタバレ控えめな条件での感想は以上。
あとは細かいところなど。
その他、細かいところ(ネタバレ全開)
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ゴジラが吐く熱線の表現
ゴジラが吐く熱線について、これを吐く前の演出は溜めが効いててなかなか良かった。
青白い光が、尻尾の先から背中の背びれを「バチッ…バチッ…バチバチバチバチ…」と伝っていく様は「んんんわかってるなぁ!」という感じで観ていて興奮した。
最初に熱線を吐く時など、シーンが暗く煙たい中での光る演出だったこともあって、憎いほどカッコいい。
一方、そんだけ溜めて口から出た熱線が、ゆるふわガスバーナーといった雰囲気でちょっと迫力に欠けるのは勿体無いポイントだ。
惜しい。惜しいぞ。
敵怪獣の造形と設定
ゴジラの敵怪獣MUTOの造形がどう見てもクローバー(先に紹介した映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」の怪獣)
誰も止めなかったのだろうか。
↓両者の比較・対決アートがたくさん上がっている。みんな思うことは同じだったらしい
怪獣としての特徴づけや生態などは、ゴジラよりもMUTOの方が面白みがあった。
下記、生物として基本的な「生殖」を中心に据えたMUTOの設定や描写は、本作において巨大なモンスターでしかないゴジラよりもよく練られている。
- オスよりメスの方がサイズが大きい(そういう虫いるよね)
- 飛行能力を持つオスがメスのところまで餌を持ってくる
- オスが育って繁殖可能となるまで、メスは長きに渡って待ち続ける
- 自らが産み落とした卵を燃やされたメスの、子どもへの愛情と悲しみに満ちた反応
主人公の家族について
映画前半の多くの尺を、主人公とその父親がMUTOの眠る地に辿り着くプロセスに費やしているが、件の父親はMUTO覚醒に伴う被害で亡くなってしまう。
作中の役割としての「学者枠」は父親死亡と時を同じくして現れた芹沢博士(演・渡辺謙)に引き継がれる上、父親が残した何かを劇中で活かすという話もない。
だったら、父親が「日本に行く理由」を長々と主人公に主張したシーンなどは、父親が登場しない形でもっとシンプルにすべきだったと思う。
(たとえば過去の描写として描かれる序盤の原発事故で父親も亡くなっていて、彼が残した記録を大人になった主人公が見つけ、日本に旅立つなど)
また、主人公の妻と子供も劇中に登場するが、基本的には時々互いに電話をし合う程度で、これも人間ドラマとして活かせているとは言い難い。
主人公はバリバリの軍人さんであり、そのアクションは家族と離れたところでの軍事行動が多いために、イマイチその行動が家族を助ける軸とマッチしないのだ。
ラストシーンで家族再会・抱き合わせるためだけに無理やり差し込んだように見える妻と子供の存在は、映画の中でノイズにしかなっていないように感じた。
冒頭に述べた通り大化けした続編の感想は以下。
https://fravexe.com/godzilla_kom/
以上。
ほな、また。
GODZILLA ゴジラ 作品概要
2014年 アメリカ
監督:ギャレス・エドワーズ
キャスト:
アーロン・テイラー=ジョンソン
渡辺謙
エリザベス・オルセン
字幕翻訳:川又 勝利
日本が世界に誇る怪獣映画のビッグネーム、ゴジラの『ゴジラ FINAL WARS』以来10年ぶりの復活作で、巨大怪獣ゴジラの出現に翻弄される人々の姿を描くパニック・アクション。
(MovieWalkerより引用)
コメント
[…] 供給されるようになる。 当の2014年ハリウッド版ゴジラは「ゴジラの造形自体はよく出来ている一方で、そもそも映画の魅せ方としてアウトだ」というのは同作品の感想で述べた通りだ。 […]